往生院六萬寺の歴史

 
      
大陸との文化交流が盛んに行われていた頃、大陸より文字、仏教、その他新文化が
      日本に流入する中、
崇峻天皇3年(590年)に善信尼(日本最初の尼僧の一人・仏法
      興隆に貢献)を中心とした一行が
百済(今の朝鮮半島)に留学し、帰国後、桜井寺に
      入山されたことが日本書紀に書かれています。「
崇峻天皇三年学問尼善信等自百済
      還、往桜井寺
」(桜井寺、往生院六萬寺如古名(伝)・大日本地名辞典)現六万寺・古名
      ・桜井郷。※大和国桜井寺(明日香村豊浦)との説も有力。


      
その後、天平17年(745年)、行基菩薩49院建立の折に、聖武天皇の勅願により、
      桜井寺荒廃の跡へ
六萬を再建し、薬師如来を本尊としていたと伝わります。それ
      以前も文武天皇の時、
役小角(修験道の開祖とされる)が来山、背後の岩瀧山にこもり、
      修験錬行の地としていたことも伝えられています。現在も岩瀧山には修行に適していた
      と思われる険しい岩肌が多数残っています。


       岩瀧不動明王のページ


      行基菩薩
の事歴は周知のところで、聖武天皇の尊崇あつく、当時、六萬寺も封境70
      戸寺田百畝を帝より喜捨され、七堂伽藍甍を並べ、盛運の時に恵まれていたと伝わり
      ます。 しかし、それから200年後、
宇多天皇の治世時には、またも荒廃し、勅願により
      伽藍が修復・修理され、食邑30余町を寄進されたと伝わっています。さらにそれから
      150年後、平安時代、後朱雀天皇・長暦3年に至り、念仏聖
安助上人(本朝高僧伝)
     
が荒廃の六萬寺を再建し、往生院と公称しました。今から1000年余り前のことであり
      ます。


       日想観のページ


      安助上人
は河内石川の人にして、東高野街道(京道を開きし僧侶であります。
      安助上人の努力により、法域も護持されましたが、後村上天皇正平3年(1348年)に
      至り、建武の中興も空しく、
南北朝抗争が激しくなる中、1336年に湊川の戦いで、足利
      尊氏軍により討たれた南朝方の武将・
楠木正成公の長男であり、正成公逝去後に、
      楠木一族の頭領となった
河内国・検非違使・左衛門少尉・楠木正行公は、その最後
      の戦いとなる
四條縄手(※四条畷の説もあり)の合戦で、吉野から出陣し、幼少期を
      過ごした往生院に本陣を構えて、京都八幡より東高野街道沿いに押し寄せる北朝足利
      方・高師直・師泰軍に対して戦いを挑みました。数十倍の軍勢に対して果敢に戦いました
      が、多勢に無勢、刀折れ、矢尽きて敗れました。正行公陣没後
大日本史によれば、
      その遺骸(胴)を往生院に葬るとあります。現在、往生院西南の境内にあり、左五輪塔
      は正行公の御墓、右石塔は正成公の供養塔であり、供養塔は正成300年祭に
関白
      鷹司信房
によって建立されたものであります

        
「楠木正行公の生涯」のページ

      
正行公陣没後、往生院伽藍のほとんどは兵火に焼け落ちましたが、その後、江戸時代、
      後光明天皇・承応3年(1654年)、関白鷹司信房が名刹の荒廃を嘆き、再興を目指す中、
      幕府からも朱印170石を寄進されて、復興を図り、明治時代へと至りました。

      
      しかし、明治時代、
四条畷神社創立の際における当寺院に対しての土地接収、寺仏
      破壊を恐れ、寺院伝来の聖地を守るべく、正成公・正行公の二石塔を隠蔽し、保存して
      いた古文献等を焼却するなど完全処分し、回避を図ったため、往生院は根底より破壊
      されました。

      
その後、鷹司家を中心として往生院再興について努力が続けられるものの、結実せず、
      大正15年には、
蓮海上人により本格復興発願されるものの、昭和21年、完成を果た
      せずに寂滅。太平洋戦争終結後、昭和28年頃から、立誡和尚が本格的な復興を計画
      しました。
 
      後中興・岩瀧立誡大和尚
(昭和61年入滅)により、大半の伽藍が復興されるに至り、
      現住の
哲秀和尚も精力的に尽力する中、墓苑整備、鐘楼堂・歴史館・民具館の建立、
      小楠公墓苑整備を行い、創立時の威容を徐々に取り戻しつつあります。


     (日本書紀・行基年譜・大日本史・太平記・拾遺・吉野拾遺・和漢三才図会・日本名勝地誌・
       河内名所図会・大阪府史蹟名勝天然記念物・群志・その他多数文献による





トップへ戻る

Copyright (C) 2001 Oujyouin Rokumanji All rights Reserved