往生院だよりコラム 5月号より
未来記


  栄枯盛衰・盛者必衰の理・・当然に人類も繁栄を謳歌した後には、
 滅していくものである。
  地球の動きによる地殻変動によるものか、地軸の変化による極寒
 化・気候大変動によるものか、または、巨大隕石の衝突によるものか、
 もしくは、人類自身のせいによるものなのか・・核戦争・環境破壊・温暖
 化による異常気象・・
  いずれにせよ、そうあと何千年・何万年と人類の存在は持たないと
 考えるのが妥当であろう。人が必ず死を迎えるように、人類の滅亡も
 しかるべくやってくる。
  そして、人類が滅んだとしても、生き残った生命たちによる命の営み
 は続き、また進化の過程を繰り返して、今の人類のように地球上を闊歩し、
 繁栄を謳歌し、そして滅していく・・それが理である。人類の築き上げた
 痕跡も、地球のプレートの下へと徐々に滑り込んでいき、地球自身の
 マントルの下にある爆発の中で、いずれは跡形もなく、消え去ってしまい、
 その存在すらも探せなくなるでしょう・・もちろん、一部プレートに滑り込ま
 ない地表に残った痕跡は、化石などで残るでしょうが・・
  しかし、それも地球が存在していればのことである。太陽が寿命により
 爆発し、また地球の寿命もつき、いずれ全ては宇宙のチリと消えてしまう
 のである・・
  以上は、何億年という長い年月を考えた時の未来である・・

  では、極ミクロ的な流れは、どうであろうか・・
  当然に世の中の流れ、歴史の流れも大自然の動きと連動する・・
  自然が乱れるとき、気は乱れ、人の世も乱れる・・
  ここ数年における自然災害と連動するように、人の世の流れも悪くなって
 いる・・
  もちろん、これは人類自身が原因でもあるように思う。それは、化石燃料
 を燃やして二酸化炭素・温室効果ガスを排出しすぎたことによる地球温暖化、
 度重なる戦争による悲劇などもその一端でもある・・欲を出しすぎたことによ
 る傲慢さが、人類の滅亡を早めているのである・・
  このことは、地球の歴史から観れば、小さな波のようでもあるが、今我々自
 身が生きている時代がある限りは見過ごすことはできない・・

  人は自然、又は支配体制などによる束縛の時代から逃れ、自由を求め、
 欲のままに生きたいと願うようになってきました・・誰もが楽をしたい、誰もが、
 幸福な人生を歩みたいと・・そして、現代における繁栄社会を築き上げてき
 ました。
  しかし、本当のところ現実ではどうでしょうか・・モノは溢れ、豊かな物質文
 明となり、楽な社会が現出したと思った矢先・・人は生きることに迷い始めて
 います・・自殺者の急増・心の病の問題・・大自然に立ち向かい、自分たちの
 住みよい暮らしを求めてきたのに・・そして、一部の先進国では少子化も始
 まっています。もはや、子孫を残すような自然・社会・世の中ではなくなってき
 ているのではないだろうか・・滅亡への準備を本能として粛々と進めているの
 ではないだろうか・・人類の生物としての存在意義が揺らぎ始めています・・
  何故なのでしょうか・・
  大自然に立ち向かい、欲を満たし、贅沢に暮らすことなど、実は人間の傲慢
 であったと気づき始めることとなりました・・欲という世界が全面に出てきてしまう
 世の中、奪い奪われ、騙し騙されで、人間の心の疲弊感が増し始めているよう
 に思えます。
  これから、生きていくために必要なことは一体・・私は、「離」と「小欲」「我慢」
 であると考えています。
  自らの足るべきところをしっかりとわきまえ、自らの器量の領分で、生きてい
 ければ良いと思います。無理に欲を掻けば、欲に支配される浅ましい世界にど
 っぷりと浸かってしまい、後生大事に色々なものを抱えて、生きていくことが窮
 屈になってしまうでしょう。贅沢な暮らし、現状を維持しようと、人間は簡単に
 良心に反する浅ましいことも行ってしまいます。
  別に何も「私」することはないのであります。いずれは死を迎える私たちにと
 っては、今の世の中で後生大事に抱えているものの大半は、所詮くだらない
 ものであり、また何千年後には人類も滅亡し、何十億年後には、太陽・地球も
 宇宙の塵に消えてゆくのですから・・
  人間界は、人間界がある限り、どれほどに文明が発達しようが、所詮は浅ま
 しい世界に変わりはありません。そんな中で、ただ、生きているというそのこと
 に対して、いかに感謝し、少しでも報恩ができたのかを重視すれば良いのでは
 ないだろうかと思います。
  「報恩」を精一杯にし終えた時こそ、人は幸せになれるのだと思います。
  市場主義・競争淘汰の激しい社会で、これからも頑張って生きていくためには、
 「離」「小欲」「我慢」が大切となるでしょう。必要最低限以上の贅沢からどれだけ
 離れられたのか、どこまで己を無くし、己の浅ましさ、欲に克ち、欲を抑えられた
 のか・・社会、政治経済と、他国、他人と外部との競争ばかりに目がいきがちで
 すが、内なる一人の自分との戦いに耐えていくことへの我慢。
  「報恩」を積み、未来に生きる者たちに、確かな未来を残していくことを・・
  当然ながら、いつまでも続く人類の未来ではないですが、一人間としてその時、
 その瞬間をどう生きて、どう死を迎えたのか、自身の存在意義に対しての自身と
 の戦い、人類の存在意義に対しての人類自身の戦いから、いかにそれぞれの
 存在意義が高められていけたのかが、大切であると思います。悩み・苦しみ・過ち
 を犯し、時には反省し、幾多の逆境を乗り越えて精一杯に生きてきたのだという
 そのことだけが尊いものになっていくのでしょう。

 川口 英俊 拝

  日本の未来
  日本の未来・・財政破綻、高負担社会の到来は確かである・・米追従路線に
 変更もない・・アメリカの言いなりのまま政治も経済も進んでいく・・うまく資本
 は吸い上げられていくだろう・・敗戦国そのままである・・年老いて尚しんどい
 社会・・若者は何を自らの人生の座標軸にすべきかに迷い続け、いずれ古き
 良き日本の伝統や慣習も薄くなっていく・・あまりこの国では年老いていきたく
 はなくなる・・
  資本主義社会を維持するために檻の中のハツカネズミが回し車でくるくると回り
 続けるがごとくに働くが、真の生き甲斐は見つけることができず、自らは何のた
 めに生きてきたのだろうかと年老いて後悔することになるだろう・・
  財政破綻後、税金支払いと借金の返済に追われる日々を過ごす・・この国の
 秩序は徐々に崩壊し、カオス状態になる。体制も精神も・・
  奪い奪われ、だましだまされの中で・・自己嫌悪の国民性になってしまう・・
 古き良き日本を回顧し思い浮かべながらも、結局は戻れずに、贅沢も手放せ
 ず同じような道を行ったり来たりするだけのことに疲れ果ててしまう・・
  今が誠に瀬戸際といえば瀬戸際なのかもしれない。
  では、「良い国」にするためには、どうすればいいのか・・金も見栄もそんなに
 はいらない、人が人として死にゆく最後の時に、「ああ私は本当にこの国で生き
 てこれて良かった」「未来に生きる者たちに確かな未来が残せた」と思え、たくさ
 んの人に見守られながら温かい最後を迎えられるような国にすることである。



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