往生院だよりコラム 8月お盆特別号より
                人間というもの

   「人間というもの」とはいかなるものなのか、と問われたならば、皆さんはどのように
 お答えになられるでしょうか?
   私は、「人間とは傲慢で、自然界にとっては迷惑千万な生き物だ」と答えます。
   何故にこのように考えるようになったのか・・仏教における「善人というもの」という
 考察の中で、仏教の戒律を厳しく守り通すならば、人間界では生きていくことは到底で
 きないものであるという結論があります。一つ「不殺生戒」をとっても、生きていくために
 は、鳥獣草木魚介たちを傷つけ、殺し、そして自らの食としています。ひとたび歩けば、
 アリを踏み殺し、何か物を欲して買えば、必ずと言っていいほど、どこかで生き物が殺
 されています。ゆえに、人間が生きていく上で生き物を殺さないということはあり得ず、
 人間が本来目指すべき「善人」というものも実は理想でしかないのであるという現実に
 直面します。
   しかし、不殺生戒も守れないならば、仏教の理想など捨てて、好き勝手に欲のままに
 生きていけばいいのかといえば、やはりそれも誤りであると思います。
   他の動物たちとの違いとして、人間は「必要以上に欲を持ち、しかも、欲が強い」とい
 う点があります。足るところを知らず、あれもこれもと欲し、誠に際限がありません。確か
 に人は善人たり得ません。しかし、そんな中でもどれだけ自分の傲慢さや迷惑さをわきま
 えられるのかが、非常に大切であると考えます。
   人間というものは、所詮自分も含めて、低きにつき、安きに流れ、自分が一番にかわ
 いくて、自分が一番に楽したい、欲という泥田んぼの中で、もがき、苦しみ、ぐるぐる抜け
 出せずに廻っているような生き物です。そんな自分を反省して、自然界の生き物たちに
 もあまり迷惑をかけず、最低限の足るべきところを知り、例え善人になれなくとも、少しで
 も善人に近づくような生き方を心がけて実践できれば良いのではないだろうかと考えます。
   全ての自然の恵みに感謝し、生き物たちに敬意を払い、自ら生かされてきたことに対
 して、少しでも生きている間において恩返しができれば良いのではないかと思います。も
 ちろん、このことは人間関係においても同様であると考えています。

  川口 英俊 拝



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