往生院だよりコラム 3月彼岸号より
                何が正しいのか

  「何が正しいのか」と聞かれたとき、人は様々な概念や得た知識、または経験により、その
 判断をします。
  もちろん、世の中で絶対正しいといわれるものを見つけることは、本当に難しいものです。
 一体、何が正しくて、何が間違っているのか・・。その時代では正しいと認識されていたことも、
 歴史の流れの中で、実は後に否定されてしまうこともあります。
  さらには、多数を占めるから正しい、みんながそう考えているから良いのだとされることも
 あります。
  人間は恣意的な思いの中で生きます。そして色々なことを考え、感情を持ち、行動します。
 それがゆえに、表から見ていると非常に複雑で、難しい生き方をしていくもであるように思わ
 れます。
  では、動物たちや植物たちはどうでしょうか・・。彼らは人間ほどに思慮することもなく、
 ただ生きるために生き、そして死んでいきます。表から見ていると誠に単純で明快なものなの
 です。彼らには、正しいとか悪いとか、そう言った概念はありません。あるのは、生死というもの
 の真実でありますし、その真実に正誤の判断は必要ないのです。
  これは実は人間にも言えることでもあると考えます。結局は生きて死んでいく。確かに時に
 人は生きていく上で、人との様々な関係の中で複雑なところに陥ることがあり、正誤を判断し
 ながら、行動していきます。また、正しいと思っていた道が、実は間違っていたと気づけば、
 反省し、より良い生き方を選んで進んでいくものです。そして喜怒哀楽という様々な感情を
 表現します。
  しかし、そんな人間たちも結局は、色々な思慮・葛藤・精神苦行を複雑に繰り返してはいて
 も、ただ生きて死んでいくものであることも紛れもない事実であります。
  さて、一体何が述べたいのか・・。実は、生きるというただそれだけを考えてみれば、
 正しいも悪いも結局はその時、その時で人間が勝手に判断して決めてしまっているだけで、
 本当はあまり取るに足りないものであり、そこで完全にとらわれてしまえば、本当に生きていく
 ために大切なことが、どうしても見えてこなくなってしまうことがあるように思えます。
  また、物事をあまり外部の事象・相対から捉えるのではなく、内なる意思の中で生きるという
 ことに気づいていければ、自ずと信を得ることができ、真に生きることができるのであろうと
 考えます。
  当たり前のことに当たり前に気づく。これほど難しいことはありませんが、生きる真に気づけ
 ば、きっと素直な思いで生きてゆくことができるのでしょう。私自身、草木や動物たちから生き
 るということの本当の意味について、更に学べればと考えています。
                                     
  副住職 川口 英俊 九拝



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