往生院だよりコラム 平成18年3月彼岸号より
「無常・・」

  「無常」・・あらゆるものは常ではない。大宇宙、大自然、生命、人間の身体、心、世の中・・。
  人間は、欲望を持ち、こうありたい、こうあってほしいと思い、自己中心的に自己満足の
 中で存在し、誰もが自分のために生きる生き物であります。
  現世においてあらゆるものがうつろう中、なかなかそれを受け入れられないのも人間で
 あります。あらゆるうつろいを真に受け入れられないために、なかなか心の平安を得られず
 に、苦悩を抱え、浮き沈みの中を過ごしてしまうことになります・・
  人間は、何とかその苦悩から逃れようと、自分を偽り見栄を張り、幻想の享楽、幸福ばかり
 を追い求め、更に自己満足・自己都合・我欲の中で生きようともがきます。
  私たちが認めたくないものの代表としては、「死」があります。しかし、認めたくなくても、
 いずれ誰もが死を迎えることは自明の理であり、当然に受け入れなければならないもので
 あります。人間が何に対しても「こうあってほしい」と願っても、やはり「無常」の中、それらが
 留まることはあり得ないのであります。
  人間界は、欲の世界であり、また、誰もが自分のために生きていて、自己中心的に自己
 満足の中で「こうありたい」「こうあってほしい」と願って存在しています。よって、その自我の
 ぶつかりあいにおいて様々な出来事が無尽に繰り広げられるのですから、もともと苦しい
 世界であることを理解しなければなりません。であるからこそ、ほんの僅かな享楽や幸福の
 大切さも知ることができます。しかしながら、人間は、なかなか満足することを知らず更に
 まだまだ「こうありたい」「こうあってほしい」という欲を出してしまいます・・そうなってしまうと、
 もう限りがありません。無常の中、あらゆるものがうつろうのです。うつろう中、「こうありたい」
 「こうあってほしい」としてもそれ自体もうつろい続けることになるのであります。自己満足・
 自己都合・我欲をなくさない限り、苦しさから逃れることができないのであります。
  もちろん、私たちは生きていく限り欲を無くすことはできませんし、到底不可能なことでも
 あります。では無くさずにどういったことをしなければならないのか? それは欲を抑え、足る
 べきところをしっかりと知ることであります。そして、自己満足・自己中心・我欲を少しでも離
 そうと実践を行うことが大切であります。自らをできる限り捨てていくこと・・それが、報恩功徳、
 私の考えるところである奉仕・ボランティアにも繋がって参ります。
  あらゆるものの無常をしっかりと理解した上で、少欲知足、報恩功徳、生かされているという
 謙虚さと配慮を持って生きていければ、苦悩、迷いから逃れることができると考えております。
  少欲知足、報恩功徳、謙虚さと配慮・・この実践こそが迷い・苦しみからの真の「解脱」では
 ないかと思っております。自身もまだまだこの「解脱」にはほど遠いのが現状であり、誠に情け
 なく、申し訳ないと反省致しております。しっかりと無常を理解し、欲得ある人間である限りは、
 なかなか自らを捨てきることは本当に難しいですが、欲を持つ存在としての傲慢さと浅ましさ
 をわきまえた上で、少欲知足、報恩功徳の実践、生かされていることに感謝し、「謙虚さ」と「配
 慮」を忘れてはいけないと考えております。
 
 川口 英俊 拝

 平成18年1月13日


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