往生院だよりコラム 平成19年3月・彼岸号より
「仏教の本質」について

  今回は、私なりに釈尊が説かれた仏教の本質について、僭越ながらもまとめさせて頂きたい
 と存じます。
  まず釈尊は、中道について説かれます。中道とは、非苦非楽、有る無しに囚われない、偏り
 なき立場のことで、この世の全ては平等・無価値であることも含まれると考えます。次に、中道
 のためには、八正道の実践が必要になると説かれました。
  八正道とは、正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定の八つの正道のことで、正見
 とは、この世の無常・真実をそのまま認識・理解すること、正思惟とは、自我の否定で、己の
 煩悩・執着を一切離し、無我こそ自己の真実であるということを見極めること、正語とは、美辞
 麗句に彩られることなく、一切の妄想・無駄が無い言葉のこと、正業とは、不殺生・不偸盗・不
 邪淫・不妄語・不飲酒など五戒を守り、正しい行いに励むこと、正命とは、正しい生活手段で生
 きること、正精進とは、正命の生活はひたすら忍耐努力によって得られるということ、正念とは、
 精神と身体を正しく理解し、精神集中・専一なる心を養うこと、正定とは、心身一致の禅定(安定)
 において正しい智慧を完成させることであります。
  そして、釈尊は中道、八正道の次に四聖諦について説かれます。四諦(したい)とは、苦諦・
 集諦・滅諦・道諦のことで、苦諦とは、この世の一切は苦であるという真理、集(じっ)諦とは、
 この世の苦の原因は、煩悩・執着にあるという真理、滅諦とは、苦を滅した境地が悟りであると
 いう真理、道諦とは、仏道修行・八正道を実践することによって悟りに達することができるという
 真理であります。
  苦は、生老病死の四苦と「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五陰盛苦」の四苦を併せて八苦
 あり、この原因は、煩悩、特に三毒である貪(むさぼり)・瞋(激しい怒り)・痴(愚かさ)、執着から
 生じ、それら煩悩・執着を完全に無くし、煩悩が慈悲に転化された智慧・悟り(菩提)を完成させた
 上で、苦の輪廻から解脱に至ることが、涅槃・寂滅・寂静であり、この滅諦のためには、八正道・
 慈悲・智慧の実践によって悟りに達する道諦が必要になるということであります。
  つまり、中道・八正道・四聖諦によって、この世における苦、苦の因果、無常、平等、無価値、
 無我を理解し、真理を探究する中で、苦の根本原因である煩悩・執着を離すために、慈悲・智慧
 の実践について精進、忍耐努力が大切になるということであります。


 川口 英俊 拝  平成19年2月19日



 


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