往生院だよりコラム 平成19年11月号より
「あらゆる全てはシャボン玉」

 仏教の基本は、四法印(諸行無常・諸法無我・一切皆苦・涅槃寂静)、四聖諦(苦諦・集諦・滅諦・道諦)の真理の理解、八正道(正見・正思惟・正語・正 業・正命・正精進・正念・正定)の実践にあります。今回は、「一切皆苦」における「苦しみの原因・素因」について改めて考えて参りたいと存じます。
 まずは、平成19年度お盆施餓鬼法要・法話の一説からの抜粋となります。
 皆さんに「シャボン玉はほしいと思いますか?」と聞いても、普通、誰も「そんなもの別にほしくは無い」と答える、というよりも、「ほしいと思ってもすぐに持てなくなるものがシャボン玉じゃないか、そんなものは最初からいらない」と答える。
 そう、シャボン玉は、あっという間に壊れ、崩れ去る泡沫、すぐに形が無くなるもの、一瞬しか形がもたないものと、みんなちゃんと理解している。 であるから、もちろん壊れても形が消えても無くなっても別に悲しくも苦しくも何とも思わない。当然ながら貪(むさぼ)りも怒りも生じない。
 しかし、一方で、己の身体はどうであろうか・・みんないつまでもほしくてたまらない・・少しでも身体が変化して老いゆき、病気となって壊れゆくと、死が近づくと、嘆き、悲しみ、苦しんでしまう・・もっとほしいと貪ろうとし、貪れないと怒りが増大してゆく・・
 所詮はシャボン玉も身体も、諸行無常なる中においては、泡沫で脆く崩れ消え去って滅してゆくものに変わりは無い、ではどうして一方では苦しみが全く生じないのに、一方では耐え難い苦しみが生じてしまうのか・・
 苦しみの原因がそこに隠れています・・それはつまり、「執着」にあります。
 諸行無常なる中、己の身体のみならず、あらゆる全てのモノ・現象がシャボン玉と同じだと理解でき、別に己の身体が崩れて壊れて死に近づいても、 あらゆる全てのモノ・現象におけることも、当然に単なる生滅変化の繰り返しであると悟れば、シャボン玉と同じように「ほしい」と渇愛することもなく、しが みつこうと「執着」することもなくなり、そうすると嘆き、悲しみ、苦しむこともなくなるというわけであります。 ・・抜粋ここまで。
 この話をもう少し進めていくと、まずは諸行無常の理解が第一で、全てが泡沫(ほうまつ・うたかた・シャボン玉)であるということを悟れば、次 に「ほしい」という「渇愛」が生じないようになります。そうすれば、「もっとほしい」という「執着」も生じないわけで、何も得ることができない苦しみ(求 不得苦)が無くなるということであります。
 「何もしがみつけるものはない、何も所有できるものはない、何もこだわれるものはない、何も囚われるものはない、何も価値あるものはない」と いう無執着・無所有・無価値をしっかりと理解すれば、特に煩悩の三毒である貪・瞋・痴も無くなり、不貪(貪らない)・ 不瞋(怒らない)・不痴(愚かさが無くなる)となり苦しみの原因が更に減っていきます。
 執着・価値・所有という考えは、実は諸行無常なるこの世においては成り立たない概念で、真理でない単なる私たちの妄想でしかないのでありま す。価値についてもう少し詳しく述べると、「特別」とも言い換えることができます。私の特別の人・家族・生命・物・財産・地位・名誉、または地球・宇宙、 過去・現在・未来・・などなど。更にはこの「特別」も含めて、己・人間の主観的な優劣・正誤・善悪もこの場合における「価値」判断と言えるでしょう。「価 値」・「特別」はもともとから無いのに、無いものをあるのだと無理矢理に考えてしまうので、苦しみが生じるわけであります。
 まずは、この世における、無執着・無所有・無価値の三つだけでも理解できれば、当然に不貪・不瞋・不痴となり、しかるべくに少欲知足にもな り、世の争い事・犯罪・戦争、無意味な殺生、資源の無駄遣い・貪り、環境破壊なども無くなり、欲界も多少は安楽になるわけであります。もちろん最終的に は、苦しみの生じる原因となる渇愛・執着・所有・価値という妄想の集まりである煩悩を完全に滅して、再び迷いの生存に戻ってこないように、輪廻転生の苦し みから解脱できるようにと涅槃へ向けて頑張って精進していかなければなりません。
 今の己の身体が滅んでも、人類・生命が絶滅しても、地球・太陽が爆発して宇宙の塵となっても、この宇宙がやがて滅しても、繰り返す輪廻転生の 原因・素因となる煩悩を完全に滅さない限りは、次の身体、人類、生命、地球、太陽、宇宙、欲界(六道、天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄)、色界(物質的世 界)のみならず、無色界(欲界・色界を超越した精神的世界)にさえも輪廻転生して苦しみ続けることとなり、その劫(ごう)たるや、億千万の劫に亘る場合も あります。
 四法印という真理を理解しないままに、いつまでも無明の闇の中を彷徨い続けて、欲望・妄想・煩悩・悪感情・本能・遺伝子に支配され続けていたのでは、到底、輪廻転生の苦しみから解脱することはできません。
 滅してもまたも苦しみの中に生が起こる原因・素因である煩悩を根本から完全に断たない限りは、この生滅変化を繰り返す諸行無常なる一切皆苦からは全く逃れることはできないのであります。
 
   「諸行の無常なることを悟って、寂滅を以て楽となす」
 
※劫とは、仏教で極めて長い時間を表す用語。一劫・・一説では、一辺40里(約160km)の岩に3年に1度(100年に1度という説もある)、天女が舞い降りてきて、その羽衣で撫でたその岩がすり切れてなくなってしまうまでの時間。

 川口 英俊 合掌 平成19年9月8日

 


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