往生院だよりコラム 平成18年9月 彼岸号より
「三災五濁」
 
      前号「岩瀧不動明王様」におきまして、不動明王様のことについて取り上げさせて
     頂いた際に、お不動さんの背後の火炎についての説明の中で、「五濁(じょく)」
     「三毒」という言葉が出てまいりましたが、今回は、その二つの言葉に関連した考察
     を展開させて頂きます。
      仏教において、この世における事象について説いた中に、釈尊入滅後、五十六億
     七千万年後に弥勒菩薩様が現れるまでの間、この世界は「三災五濁」に深く陥ると
     される考えがあります。
      三災とは、風災・水災・火災の大災と飢饉・疾病・戦争の小災、五濁とは、劫(こう)濁
     ・煩悩(ぼんのう)濁・衆生(しゅじょう)濁・見(けん)濁・命(みょう)濁のことで、五濁は、
     人間の文明文化が進歩するにつれて増大していくとされています。
      劫濁とは、時代・世の中の濁りのことで、戦争・飢饉・疾病・環境汚染が増大していく
     こと、煩悩濁とは、人間の欲望から生じる煩悩によって起こる濁りのことで、特に三毒
     である貪(むさぼり)・瞋(いかり)・痴(おろかさ)の増大で悪行・犯罪が多発横行していく
     こと、衆生濁とは、人間界・人類社会の濁りのことで、社会の苦しみが増大し、人間の
     資質・モラルが著しく低下していくこと、見濁とは、人間社会における思想の混乱による
     濁りのことで、誤った思想・先入観・偏見・差別が増大していくこと、命濁とは、衆生の
     生命の濁りのことで、命が次第に短くなっていくこと、生存・存在意義が低下していくこと
     であります。
      もっとも、この世における人間の愚かさ・浅ましさ・卑俗さ・おぞましさは、何も今の時代
     に限ったことではなく、人間が誕生して以来、ずっと続いていることであり、程度の差は
     あったとしても、元々人間界とは欲望を持った人間による煩悩が渦巻いて、四苦八苦
     (四苦は生老病死、更に四つの苦である「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五陰盛苦」
     が加わって八苦)し、煩悩による貪(とん)・瞋(しん)・痴(ち)の三毒に侵されている世界
     であり、人間という存在が完全になくなる、もしくは、全ての人間が仏教の教えの中にお
     ける涅槃(煩悩が完全に無くなり、煩悩が慈悲に転化され、智慧・さとりが完成する境地)
     しない限りは、三災五濁からは到底逃れることはできないのであります。
      もちろん、「三災」・「五濁」も人間が存在する上で都合が悪く、危ういものであるために
     「災い」・「濁り」としているだけのことで、所詮はこの世のあらゆる事象が「無」に帰する中
     における程度の問題のことに過ぎず、受け入れてしかるべきものであります。
      いずれは無常の中、人類も滅亡し去るわけですが、現実世界においては、いまだ人間
     は存在しており、また、全ての人間が前述のように涅槃することは、ほぼあり得ないことも
     確かであります。つまりは、人類が滅亡するか、全ての人間が涅槃しない限りにおいては、
     「三災五濁」・「四苦八苦」から逃れることはできないわけであります。
      しかしながら、元々「三災五濁」に陥っているこの世界、日本社会においても、その度合い
     が深まっているとはいえども、それはただそれだけのことであり、煩悩を抱えて過ごす人間
     界における愚かさ・浅ましさ・卑俗さ・おぞましさについては、当然に致し方なきことで、「三災
     五濁」・「四苦八苦」のみならず、この世のあらゆる事象をあまねく受け入れて、その上で
     「己」はどうであるのかということを考えていかなければならないと思っています。
      つまりは、あらゆる世の中の事象は全て「己」次第のところに落ち着いていくことになり、
     「三災」も「五濁」も「四苦八苦」も、それらをどう捉えるかも「己」次第となるものであります。
      「己」次第の中、外部事象は外部事象として、「己」における欲得・煩悩から生じる愚かさ、
     浅ましさ、卑俗さ、おぞましさと真剣に向き合って、それらに負けないように、常に己自身に
     克てているのかどうかということが重要となり、そして、そのためにも「少欲知足」「報恩功徳」
     の実践、「謙虚さ・配慮・寛容性」を養っていくことが誠に大切であると考えています。


     『この世界が三災五濁に深く陥る中、たとえ現実の世の中がどれほどに愚かで、浅ましく、
      卑俗で、おこがましくなっても、断じて挫けずに「克己」していくことに日々精進を重ねて
      いくことが大切であります。』


     補足・・四苦八苦

     生老病死の四苦に下記の四つの苦しみが加わって八苦となる。

     「愛別離苦(あいべつりく) 」・・愛し合うもの同士が、やがては別れていかなければならない
                        苦しみのこと。

     「怨憎会苦(おんぞうえく)」 ・・憎しみ合うもの同士が、一緒に暮らしていかなければならない
                        苦しみのこと。

     「求不得苦(ぐふとっく)」  ・・求めても得られない苦しみのこと。

     「五陰盛苦(ごおんじょうく)」・・人間生存自身の苦しみ、煩悩が抑えることができない苦悩の
                       苦しみ、色・受・想・行・識の五陰から起こる本能的欲求の
                       苦しみのこと。


     平成18年9月3日  川口 英俊 拝




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