往生院だよりコラム 平成19年5月号より
「煩悩と執着の正体」について

 前号におきましては、「仏教の本質」について簡単にまとめさせて頂きました。今回は、それを基にして少し考察を前に進めたいと存じます。
 前回、四聖諦(苦諦・集諦・滅諦・道諦)について述べさせて頂きましたが、この世の一切の苦しみの原因は、「煩悩」と「執着」によって生じるという集(じっ)諦について、今回は焦点を当てて考えて参りたいと思います。
 まず「煩悩(ぼんのう)」、「悩み煩(わずら)う」の実体についてでありますが、それは「妄想(もうぞう)」にあります。人間は思慮・考察・想像する能力を有しています。しかし、時に人間は、厳然たる現実・事実について、それを認めずに、擬装、粉飾、歪曲、誇大してしまう側面があります。どうしてそのようなことが起こるのかというと、「欲」があるからであります。つまり、恣意的な自己都合・自己満足・独り善がりに陥ってしまい、現実・事実を空想・仮想という「妄想」へと変えてしまう傾向があるというわけであります。現実・事実と妄想があまりに掛け離れてしまっていけばいくほどに、悩み煩う苦しみも増大してしまうこととなります。
 また、人間はこの世におけることについて、「意味」や「価値」を見い出そうとしてしまいますが、本質的に、この世におけることに「意味」や「価値」などないのであります。それでも無理やりに、更には恣意的な自己都合・自己満足・独り善がりで意味付け・価値付けをしようとしてしまうことにも「悩み煩う」原因が生じてしまうわけであります。現実・事実のあるがままを受け入れていくためには、「妄想」を止めて、恣意的な自己都合・自己満足・独り善がりという欲をできる限り滅していくことが、「煩悩」を無くす上で大切なこととなります。
 次に「執着(しゅうちゃく)」についてであります。執着とは、「囚(とら)われてしまうこと」・「しがみついてしまうこと」であります。常々に私は法話におきまして、「執着」とは、つまり「変化を認めていないということです」と述べさせて頂いております。この場合の変化とは、全てのものが移ろい変わりゆく中にあるという「諸行無常」のことであります。この世は、宇宙が始まったビッグバンから全ての変化の流れは止むことなく続いています。もちろん、全てが変化している中にあるからこそ、「時間」という概念も存在しているわけであります。
 その変化に例外はなく、私たち自身の体・心も当然にしかりであります。生老病死も単なる諸行無常における変化の一過程にしかすぎないのであります。問題は、それらの変化の現実・事実を真に受け入れられるかどうかということであります。
 では、どのようなことが具体的に「執着」であるのかについて考えて参ります。
 例えば、女性の方のお化粧。お化粧をするということは、自らの体の変化である現実・事実、つまり顔における老化進行、シワ・シミ・くすみが増えていくことを受け入れず、認めずに、擬装・粉飾して、隠すということであります。なぜそうするのかと言うと、自らの若かった頃、美しかった頃、周りの若い人や美しい人というものに囚われてしまうという「執着」、または格好よく思われたい、モテたいという「見栄」・「虚勢」にしがみついてしまうという「執着」に原因があるわけであります。
 もちろん、変化は止めようもなく、やがてはお化粧に係る時間・労力・お金もどんどんと増えていくこととなり、どうしようもなくなっていくのですが・・また、いずれ死を迎えば、どんなにお化粧していた顔も肉体と共に跡形もなく灰と化すことになるのですが・・
 あくまでもこれは簡単な一例でありますが、このように変化の現実・事実に逆らって抵抗してしまうことが、私たちの「執着」という苦しみの原因となってしまっているのであります。
 女性の方における顔のお化粧と同じようなことは、男性の方における頭髪でも同様なことが言えます。自らの頭皮における変化を認めずに、髪の毛一本にまで執着して抵抗してしまうわけでありますね(笑)。
 さて、結局、煩悩と執着の原因は、現実・事実・変化を認めずに抵抗しているということであり、その抵抗は、恣意的な自己都合・自己満足・独り善がりという「欲」が引き起こしているのであります。よって、その「欲」を少なくしていくことが「煩悩」・「執着」を無くしていく上で大切なこととなります。
 また、あらゆる全てのものが、変化していく中にあるという「諸行無常」の理解も当然に必要であり、この世におけるものは、変わらないものなど無く、絶えず移ろい続けるという不安定なものであり、何も頼りにはならず、何も期待することもできないのであります。

 「諸行無常の現実・事実を真に認めること、受け入れること」
 「余計なことを妄想しないこと」
 「何にも囚(とら)われないこと」
 「何にもしがみつかないこと」

 これらの実践が、苦しみから解脱する上で重要なことであると考えています。


 川口 英俊 拝  平成19年5月4日



 


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