施本 「仏教・空の理解から学ぶ」 岩瀧山 往生院六萬寺 Road of Buddhism |
著者 川口 英俊 ホームページ公開日 平成20年12月15日 執筆完了日 平成20年12月8日 施本発行 平成20年12月28日 |
補足 「即非の論理」について 第三章「般若思想の理解」の補足 http://oujyouin.com/engi3.htm 平成21年1月7日 |
補足 「即非の論理」について 般若教典の一つである金剛般若経における代表的な表現としての「Aは非Aにして、ゆえにAといわれる。」・「Aは非Aであり、それによってまさにAである。」、いわゆる「即非の論理」についての補足でありますが、改めて「縁起」の観点から考察しますと、「A」というものは、概念・思惟分別によって言説・言葉・名前で「A」と名付けた即時に、既に「A」と「Aでないもの(非A)」が分別されてしまっているということであり、すなわち、縁起関係としての「Aによって非Aがあり、非AによってAがある。」ということであります。 つまり、「私」というのは、「私」とした同時に「私でないもの(非私)」と縁起関係において分別して言えているだけに過ぎないということで、もちろん、「A」も「非A」も、「私」も「非私」もそれぞれに固定した実体が無く、それぞれはあくまでも「○」と「非○」の縁起関係で仮に言えているだけに過ぎないということであります。それは、何かを言説・言葉・名前で「○」と表した瞬時にその「非○」も想定されており、その「非○」によって「○」と言えているだけに過ぎないのであるという縁起関係のことを「即非の論理」において般若思想は表そうとしたのではないかと考えられます。 同じように般若心経における「色即是空 空即是色」についても、「空」を実体がないという「非○」として、「○即是非○ 非○即是○」として、上記の「即非の論理」と同様に縁起関係で考えますと改めて理解が及ぶのではないだろうかと思います。 ・補足ここまで。 これで思惟分別してしまって、言説・言葉にてあらゆる名前を付けたものについても縁起でのみ言えているだけに過ぎないということの理解が進んだように存じます。 例えば世俗では何らも関係性がないと考えられているものについても、「関係が無いという関係がある」という感じで縁起関係において仮にどちらも言えるということであります。世俗では何ら関係性が無いというものも「非○」に含まれており、「○によって非○があり、非○によって○がある。」として縁起関係で表すことができるだけであるということであります。 |
トップページ 章 一、はじめに 二、仏教・基本法理の理解 三、般若思想の理解 四、般若心経の理解 五、中観思想の理解 六、唯識思想の理解 七、仏教の実践 八、縁起・空の理解からの実践 九、仏教的生き方 十、最後に 参考・参照文献一覧 |
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