施本 「仏教 〜 一枚の紙から考える 〜」
 
ホームページ公開日 平成20年1月28日   執筆完了日 平成20年1月21日

施本発行 平成20年2月21日


著者 川口 英俊
 
七、悩み・苦しみを超えて


 さて、前作「佛の道」もお読み頂きました皆さんは、ある程度気づかれたことであると思いますが、前回は初期仏教の学びからの仏法の真理の理解を中心として、今回は大乗仏教(特に唯識論)の学びからの仏法の真理の理解を中心として、書かせて頂きました。

 初期仏教も大乗仏教も共に涅槃寂静を目標として、諸行無常・諸法無我の真理の理解を進めていくわけですが、ただ目標へのアプローチの仕方に少し相違があるだけで、どちらが優れている劣っているということはないと考えています。

 あえて述べさせて頂くとすれば、「無我」へのアプローチについて、唯識論は、かなり理論化されている印象を受けたものの、その分、理解するのが結構難解であるとも感じました。

 また、初期仏教から改めて仏教の学びを進めて、それから大乗仏教の学びも進めてみると、ある程度理解が進みやすかったという感じでもあります。もちろん、所詮はまだまだ浅学非才の未熟者の感想なのですが・・

 さて、とにかく今回の内容によって、この色々と虚妄分別してしまっている世界に過ごす中において、物事の見方が、今までと比べて少しでも変わったとすれば、誠に嬉しいことであります。

 もしも今回の内容で、少しなりとも心が安らかに、清らかになって頂けたとして、そのことを比喩的に述べるとするならば、例えば誰もがその気になれば、すぐに出会うことができる産まれたての純粋無垢《むく》な赤ちゃんと触れ合った時に感じるような、そんな心の安らかさ、心の清らかさと似ているのではないかと思います。

 なぜならば、純粋無垢な赤ちゃんは、私たちよりも遥かに「我」が無く、欲・渇愛・執着が少なく、私たちが色々と分別して作り出してしまっている言葉も知らないですし、もちろん、虚妄分別することからも離れているからであります。当然に、私たちが何も分からないままに、普段抱えて悩み苦しんでいるような二項対立・二元対立の矛盾も何も関係ありません。

 純粋無垢な赤ちゃん、そのような存在に出会った時に感じる、誠に何とも言えない不思議な安らかさ、清らかさ・・もちろん、それはまぎれもなくかつての自分自身も経たことのある、もはや忘れ過ぎ去ってしまった過去なのであります。いや、そのかつての純粋無垢な自らの心にフッと戻ったために、安らかさ、清らかさを覚えるのかもしれませんね。

 また、その純粋無垢な赤ちゃんを慈悲の心でいつも優しく守っている母親のような存在が、「仏法」であると例えることができるのではないだろうかと僭越ながらも考えております。誠に「仏法」は有り難きでございます。

 とにかく悩み煩ってしまって苦しむことを無くし、確かなる安楽な涅槃へ向けて、しっかりと仏道の歩みを一歩一歩進めて参りましょう。


 目次

 章

 一、はじめに

 二、一枚の紙から・仏教の基本法理の理解

 三、一枚の紙から・@而二不二《ににふに》

 四、唯識論について

 五、一枚の紙から・A而二不二《ににふに》

 六、一枚の半紙から・補足余談



 八、最後に


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