施本 「仏教・縁起の理解から学ぶ」


Road of Buddhism

著者 川口 英俊

ホームページ公開日 平成21年5月15日   執筆完了日 平成21年4月28日

施本発行 平成21年5月28日


三、時間的縁起・空間的縁起について



 
「縁起を見る者は、法(真理)を見る。法(真理)を見る者は、縁起を見る」と言われますように、縁起は、まさに仏法真理の理解において最も重要であり、その理解について、私たちは誤りなく、しっかりと進めていかなければなりません。

 縁起には、
時間的縁起・空間的縁起・論理的縁起とありますが、まずは、時間的縁起について考えて参ります。

 
時間的縁起は、時間的先後の因果関係について扱うものであり、縁起を「因縁生起《いんねんしょうき》」の略であるとして、「因」は直接的原因、「縁」は間接的原因・条件のことを示し、現象界における様々な事象は、原因・条件によって結果が起こる、ということを表し、原因や条件に応じて、様々なモノが生滅変化していくということを、「諸行無常」と表すわけであります。

 例えば、現象・事象におけるあらゆる存在は、様々な原因と条件に応じて生滅変化していくということで、前章でも述べましたように、
「AはBという原因、Cという条件によって生じたが、Bという原因、またはCという条件が無くなってしまう、変化してしまうと、Aは成り立たなくなってしまい、もはや、Aと言えなくなり、Aは滅することとなる。また、別のDという原因、Eという条件によって、AがFになり、更にGという原因によって・・」、そのBという条件も「BはHという原因、Iという条件によって生じたが・・」というものであります。

 つまり、私たちが
分別して様々に認識・識別するために「名前」を与えているあらゆる存在についても、そう呼べているための「原因」・「条件」が変化したり、「原因」・「条件」が無くなったりすれば、もうそう呼べる存在ではなくなってしまい、当然にその名前も変わっていくこととなります。

 例えば、水については、様々な原因や条件(化学変化・温度)に応じて、性質が変わってゆくと、お湯や水蒸気、雲と呼んだり、水素と酸素の化合物として「H2O」と表し、もちろん化学変化によって水素と酸素が分かれてしまえば、もうそれは水とは言えなくなってしまいます。また、場所に応じても、淡水、海水、地下水、氷河など、場所を表す言葉を繋げて表現されることもあります。

 この場合の縁起は、前章でも述べましたように時間的先後の因果関係を主に示すものであり、「諸行無常」を説明する際に重要な役割を担うものであります。

 
モノのありようを観るときに、そのモノがモノたらしめられているためには、様々な原因や条件があってこその成り立ちがあるのであり、何一つとして、それだけで単独・孤立に存在して、生じたと言えるものはなくて、そのものが生じる原因・条件があり、その原因・条件をたどっていけば、実はどこまでもどこまでも遡っていき、まさに無限遡及となって参ります。

 私が存在するためには、父と母がいて、そのまた父と母がいて、さらに・・人類の誕生、哺乳類の誕生・・進化の過程、生命の誕生、地球の誕生、太陽系の誕生、銀河系の誕生、宇宙の誕生などの原因がなければならなかったですし、更には、空気、水、食べ物・・と存在するための条件も考えると、もうキリがありません。

 しかし、
時間的縁起は因果関係を示すものですが、その原因・条件・結果を、あくまでも個物として考えなければならないという欠点があります。最終的に、個物については、「無自性・空」であって、分別して考えることはできないものであり、あくまでも時間的縁起の因果関係は、世俗諦における「諸行無常」の理解のための縁起であることについては、留意しておかなければなりません。

 次に空間的縁起とは、
「Aがあるためには、Bがないと成り立たない、Bがあるためには、Cがないと成り立たない、更にCが・・」、「Dがあるためには、EとFがないと成り立たない・・HとIとJとによって、Kが成り立っている・・」ということで、主に空間的な相依関係を考えることになりますが、因果関係とも深く結びつくものであり、現在、様々に存在しているモノも、当然に色々な原因・条件に応じて現れていますが、突き詰めて、その原因・条件を遡ると、例えば、同じ原因・条件としての「ビッグバン」まで遡る、銀河系・太陽系の生成に遡る、太陽・地球の誕生に遡る、生命はバクテリアの誕生にまで遡っていくというように、同じ原因・条件から、また様々な無数の原因・条件を互いに経て、現在、同空間において同時平行的に存在できており、もしも、宇宙・地球という空間、生態系という空間が無ければ、当然に互いに存在できていないということでもあります。

 つまり、私は空気や水や食物がなければ存在できない、空気や水や食物は、自然環境・生態系がなければ存在できない、自然環境・生態系は、地球がなければ成り立たない、更には・・太陽がなければ、銀河系がなければ、宇宙がなければ・・と、
その存在が存在たらしめている空間的要因を挙げていけば、どこまでも広がっての相依的相関関係を述べることができます。

 例えば、今、私が肺へと吸った酸素は、私たちが生きていく上で欠かせないものですが、その酸素についても突き詰めていけば、どこどこの植物が、いついつに光合成で作ったものであり、光合成のためには・・その植物が育つためには・・生命の誕生、進化・・地球の誕生・・宇宙の誕生と、無限に遡及していく関係性がまた広がって言えるわけであります。特に生態系のありようを考えれば、この空間的縁起の理解は簡単に及ぼすことができるのではないかと思います。

 誠に繰り返しとなりますが、例えば太陽・地球、空気・水、土壌・養分があるなど、色々な原因・条件が調ってこそ植物は光合成を行い、生長でき、実をつけるための受粉には、寒暖差によって生じる大気の流れである風や、また昆虫の活動が必要であり、更には、その植物を食する昆虫や動物もいて、その排泄物がバクテリアによって分解され有機物となり、また食物連鎖の中へと入ってゆく・・と関わっている原因・条件を挙げれば、挙げていくほどに関係性が広がって参ります。

 このように考えますと、現象界におけるあらゆるものは、永久永遠に「それがそれだ」、「これはこれだ」として成り立つものは見あたらず、実体が無いものとして「諸法無我」と言えるわけであります。

 また明らかに、今は
何ら関係性や影響をもたらさないと思われる存在でも、何らかの原因・条件によっては、直接的に関係性・影響を及ぼす可能性も当然に考えられます。

 宇宙空間に漂うただの石の固まりが、ちょっとした重力場の影響での軌道のずれで、地球へと落下する隕石になってしまうこともあるわけで、その大きさによっては地球の環境を激変させてしまう場合もあり、およそ六千五百万年前に地球に衝突した隕石によって、恐竜が大量絶滅したような例もあるわけであります。

 また、今は何ら人体に害のないウィルスであっても、原因や条件によって、突然変異して人体に有害なインフルエンザウィルスとなってしまうと、例えば「スペインかぜ」のように、当時の全人類の半数近くが感染し、四千万人ほどが亡くなるというような事態も起こってしまうのであります。

 太陽風の活動や、あるいは超新星爆発による強烈なガンマ線などが、地球に大きな影響を及ぼすこともあります。

 例えば、大マゼラン銀河における超新星爆発によって放出されたニュートリノが、地球でも観測されたのは有名な話であります。

 このように考えますと、宇宙のはるか彼方の出来事が、地球にも重大な影響を与えてしまうこともありうるわけであり、この宇宙の中におけるあらゆる現象も、私たちの思考・認識レベルでは図れないような関係性も、当然にあるかもしれません。ダークマター・ダークエネルギーの役割やビッグバン理論・ビッグクランチ理論、ブラックホール理論の解明などで、今後様々に、私たちと宇宙との関係性が新たに明らかになる可能性もあります。

 人も、空間や自然環境、社会環境とは、切っても切れない関係にあり、例えば
一人の人間の思想や行動が、人間社会全体に多大な影響を及ぼすこともあり、また、人間社会全体の流れが、一人の人間に影響を与えることもあります。

 約二千六百年前に、お釈迦様が広められた仏法は、時代・世代を経て、何十億人、何百億人にも影響を与えているわけであり、私もその影響を受けて、現在は、一僧侶として、お寺で過ごし、法要や作務に勤め、真理の追究、本論の論考、お施本の執筆に取り組んでいるわけであります。

 さて、少し考えを及ぼしますと、
全体としての「多」と、個としての「一」が互いに関係しあって、相互依存、相依相関関係にあるということも空間的縁起は示しているわけでもあります。

 とにかく、
現象界・事象界のあらゆるものは、何かそれ自体として、独立・孤立して存在していると言えるわけではなく、実体の無いということを仏教では「空」というわけであります。

 ただ、
時間的縁起、空間的縁起も、あくまで相対的なものの考え方において、無常・無我・無自性・空を示しているということであって、当然に注意が必要となります。

 それはつまり、自と他の存在のあり方を、時間的・空間的に因果関係・相互依存関係・相依相関関係で捉えて、自も他も実体的に固定して、永遠に変化しないものではないということを説明するためでもありますが、
時間的縁起・空間的縁起の弱点は、複雑な因果関係性・相互依存関係性・相依相関関係性を解き明かして、全てを説明できるという訳ではなく、私たちが関係ないとしているものであっても、実は関係が無いとは言えないと述べるだけでは、なかなか納得しがたいところもあると思いますし、また、思惟する限りにおいて、関係のないものとしてしまうものであっても、関係がないという関係があるとして、ある種、詭弁的なことを説明する必要も生じてしまう場合があります。

 また、時間的先後の因果関係、空間的な相互依存関係性・相依相関関係性の広がりに言及し出すと、過去においては、どこまでもどこまでも
無限遡及してしまうこととなり、更には、未来へ向けてこれから先の因果関係、空間的相互依存関係性・相依相関関係性を思惟して、想定できる限りを想定していっても、結局は無限に広がってしまい、その終わりが見あたらなくなってしまいます。

 例えば、素粒子の、更にその先の物質世界を説明する理論の解明や、また、ビッグバン以前の状態のこと、宇宙の外はどうなっているのか、宇宙は有限なのか無限なのか、宇宙の終焉はどうなるのかなど、もうそれは思惟的範囲の限界を超えてしまうこととなり、いわゆる形而上学の世界に入ってしまうこととなります。

 形而上学的なことについて、お釈迦様は扱うことを避けられました。いわゆる
「無記《むき》」であります。

 それは、
「世界は常住か、非常住であるのか?」・「世界は有限か、無限であるのか?」・「霊魂と肉体は同一か、別々のものか?」・「如来は死後存在するのか、しないのか?」・「如来は死後存在しつつ、非存在であるのか?」・「如来は死後存在するものでもなく、非存在でもないのか?」などの問題についてであります。

 
これらの問いは、仏道の実践において何の役にも立たない問いであるとして、お釈迦様は沈黙されて回答を退けられたのであります。それは、「毒矢の例え」によって示されていますように、「現実の苦しみ、苦しみの原因、苦しみを無くす方法」について、しっかりと学び、実践して、苦しみを確実に無くすことが、何よりも重要であるということです。

 とにかく、時空的縁起においては、時空を超える何かについて言及することができない以上、全てについて、「無自性・空」であることを説明することに限界があり、そこで、次章で扱います論理的縁起による補完が、更に必要になるものである
と考えます。

 また、
時空的縁起の弱点は、あくまでも様々な縁起関係にある個物を、一応は「仮に有るもの」として認めざるをえないところにもあって、個物についての「無自性・空」を完全に理解できるわけではない、ということについても、やはりしっかりと考えておかなければならないと思います。




 トップページ

   一、はじめに

   二、仏教基本法理の理解

   三、時間的縁起・空間的縁起について

   四、論理的縁起について

   五、般若思想について

   六、即非の論理について

   七、中観思想・唯識思想について

   八、華厳思想について

   九、仏性思想・如来蔵思想について

   十、相対から絶対へ

 十一、絶対的絶対について

 十二、確かなる慈悲の実践について

 十三、現代日本仏教の抱える課題について

 十四、最後に


 参考・参照文献一覧





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