施本 「佛の道」 発行日 平成19年12月28日   執筆完了日 平成19年11月25日

第十二章 無価値


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施本「仏教 〜 一枚の紙から考える 〜」
施本「佛の道」


岩瀧山 往生院六萬寺



著者 川口 英俊

第十二章 無価値

 次も、無執着、無所有の続きとなるのですが、無価値についてであります。

 この場合の価値は、絶対的価値=真理というものではなくて、中道の見方からは離れてしまった人間の主観・偏見・独り善がり・自己都合・自己満足などの恣意的要素が色々と入って妄想されて創られた世俗における価値のことで、当然に目に見えない概念的なものであり、あやふやで入れ替わり立ち替わりも激しい優劣・正誤・善悪などの判断基準になるものでもあります。

 この場合における価値も無常の例外ではなく、変化する不安定な中にあります。私たちはそういうものにでさえも、無常・無我・苦の真理を理解しないままであれば、永遠性・不変性を探し出そうと妄想を繰り返して、しかも執着してしまうのであります。

 また、この場合の「価値」は、「特別」とも言い換えることもできるでしょう。

 私の特別の人・家族・生命・モノ・財産・地位・名誉・権力、地球・太陽・宇宙、さらには思想・主義・主張・思考、過去・現在・未来においてまでも「特別」としてしまおうとします。

 「特別」というのも、ここにおいては、やはり永遠性・不変性を求めようとしたり、こうあってほしい、こうなってほしいという渇愛になるもので、さらにほしいと執着しようとしているものに過ぎないのであります。

 無常・無我なる中では、この場合の価値など何も成り立たないもので、おそらく、私たち人類が現在有り難がっている様々な価値は、人類が存在していればこそ自分たちの自己都合・自己満足で成り立っているものがほとんどで、人類が絶滅してしまえば、どうでもいいようなもの、意味も無くなって霧散するようなものであります。というよりも「価値」、「特別」などというものは、始めから何も無いのに、無いものをあるのだと妄想して幻想を追いかけて悩むことでの苦しみも生じてしまうわけでもあります。

 全てが因縁の中で生滅変化を繰り返してゆくこの無常なる世界では、ほしいと渇愛し、もっとほしいと執着するに値するもの、意味あるもの、価値あるもの、特別なものは実は何も無く、愚かにもそれらを妄想することで、また苦しみが生じてしまうため、その妄想を止めなければならないのであります。

 無常において生滅変化していくに何ら差別はなく、中道の見方から外れた人間の恣意的要素による優劣・正誤・善悪の価値判断も何ら頼りなく変わってしまうもので、そこに束縛される意味もないのであります。

 私たちが有り難がらなければならないものは、普遍的な真理だけであって、それ以外に人間の生み出していく価値・概念などは、どうでもよい捨て去るべき妄想でしかないのであります。また、現象・存在の何かに価値を入れてしまうと、とたんに渇愛・執着が生まれて、そのままそれが苦しみに変わってしまいます。無常においては、価値は成り立たず、無価値であることを自覚して、苦しみを無くしていかなければならないのであります。



   一、はじめに
  二、諸行無常
  三、諸法無我
  四、一切皆苦
  五、涅槃寂静
  六、四聖諦
  七、八正道・中道
  八、因縁生起
  九、智慧
  十、無執着
 十一、無所有

 十三、空
 十四、慈・悲・喜・捨
 十五、少欲知足
 十六、現実の瞬間瞬間を生きる
 十七、煩悩への対処
 十八、無記 
 十九、四弘誓願
 二十、最後に

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