施本 「佛の道」 発行日 平成19年12月28日   執筆完了日 平成19年11月25日

第九章 智慧


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施本「仏教 〜 一枚の紙から考える 〜」
施本「佛の道」


岩瀧山 往生院六萬寺

著者 川口 英俊

第九章 智慧

 智慧《ちえ》とは、無明を打ち破り、真理を悟ったものにもたらされる心の働きのこと。真理の実相から全く揺らぐことがなくなった心の働きのこと。智慧は、般若《はんにゃ》とも表されます。

 智慧は、既にもはや己のいかなる内面におけることも、己の外面におけるいかなることも、真理の実相の理解によって、常に涅槃寂静へと導くことができるように全てが調った、静かで落ち着いた心の働きであると考えます。

 また、智慧については、特に三学である「戒・定《じょう》・慧《え》」の中で詳しく扱われて説明されます。

 戒・・定められた戒律を学び遵守すること。戒律の規範となったのは、身行清浄・語行清浄・生活清浄の三つの清浄で、それらに向けて、例えば不殺生・不偸盗・不邪婬・不妄語・不飲酒の五戒や出家者に対しての戒律、生活規律などが多く定められています。

 定・・坐禅や瞑想修行にて禅定(精神統一・精神安定)を行うこと。禅定には諸説ありますが、基本としては、止(心を統一して止めること・三昧《ざんまい》とも言う)と観(無常・無我をありのままに捉える)からなり、その境地の段階として、四禅八定(四禅四定)があります。四禅八定では欲界・色界・無色界についてそれぞれ禅定の段階が分かれています。

四禅八定

 まず、欲界の粗定・細定・欲界定・未到定の四つですが、これは禅定の前段階であり、次の色界の初禅・二禅・三禅・四禅の四つと、無色界の空無辺処定・識無辺処定・無所有処定・非想非非想処定《ひそうひひそうしょじょう》の四つで四禅八定となります。

 それぞれの説明は非常に難しく伝えにくいものですが、誤解を恐れずに簡単に述べさせて頂きますと、まず欲界のところについては、心の集中を養い、雑念を払い、感情・感覚が研ぎ澄まされていく、次に感情・感覚が薄まっていき心が軽くなる。ここから禅定に入って、色界の段階となり、精神が集中されていく中、欲界の煩わしさから完全に離れられた状態を楽しみ喜ぶ状態となり、更に心が統一され、大いなる幸福感、心の平安を得て、そして次には、欲界におけることの渇愛・執着が無くなって非苦非楽の心境を味わい、更にはその平安な心が清浄の心へとなります。

 次に無色界の禅定に入り、清浄の心も徐々に消えていき、虚空、無辺の境地を得て、心が外部に触れることが完全に無くなり、更には、心の内部にも何も触れることが無くなる、そして心もない、意識が全く無いという禅定状態に至る。ここまでが、四禅八定の簡単な説明ですが、ではそれで悟りに至ったのかというと、そうではなくて、最後に九番目として「想受滅」があるとされ、想(表象・概念)と受(感覚・感受、六感〔眼・耳・鼻・舌・身・意〕)が滅せられた境地であり、これはもはや言葉では表現できない境地で、悟りを得た者でしか分かり得ません。

 以上があくまでも簡単に述べさせて頂きました四禅八定の説明でありますが、考察・実践はそれぞれがしっかりと行なわなければならないものであります。

 慧・・戒・定と平行して進めなければならないこととして、五蓋《ごがい》を捨棄し、四聖諦の真理の完全理解へと至って、宿住随念智《しゅくじゅうずいねんち》、死生智、漏尽智の三明を得ていくこと。五蓋とは五つの煩悩で、貪欲(むさぼり)・瞋恚(激しい怒り)・睡眠(昏沈《こんちん》・心が重く沈んでいる状態)・掉挙《じょうこ》(心が昂ぶり平静さを失っている状態)・疑(真理への疑い、真理の理解を躊躇《ちゅうちょ》している状態)で、これらを無くしていくことによって、四聖諦の理解を深めて智慧が現われていくようになります。そして、解脱へ至るための三つの智慧として、まず、宿住随念智とは、過去における煩悩・苦しみをもたらす所業の過程と原因を如実に知ること、死生智とは、他における煩悩・苦しみを如実に知ること、漏尽智とは、四聖諦の理解により、煩悩・苦しみが無くなったことを如実に知ることであります。
 
 定の「想受滅」、最後に解脱と解脱知見の智慧を得て悟りになるとされていますが、その境地はもはや言葉で表すことは実に難しくあります。

 また、いかなる現象・存在に対しても「無執着」の状態になり、既に悟り・智慧にさえも執着が無くなっていますので、当然に「我」もなく、「悟り」・「智慧」についても、「私は悟り・智慧を得たのだ」、「悟り・智慧は私のもの」というような妄執もないですので、ただ、最後には「涅槃」と述べるだけの方がより正確ですっきりすると言えるでしょう。

 そして、智慧は、生きとし生けるものたち、のみならず三界における全てのあまねくものたちにおける無明の闇を打ち破らせ、苦しみを取り除く慈悲の実践へと向かわせる働きでもあると解します。

 迷い・苦しみを抱える者が、智慧ある者に出会い、教えを請うたのであれば、即座にその迷い・苦しみは打ち破られることになるでしょう。その者こそ、正しく悟った者、正覚者・ブッダと言われる者であります。その第一がお釈迦様で、その教えが仏教なのであります。

 また、智慧を開発させる実践手段が八正道であります。仏法僧の三宝に帰依したる者は、しっかりと八正道を実践して智慧を開発していかなければならないのであります。

 もちろん、「悟りを得たい」、「智慧を得たい」というところに渇愛・執着してしまっては、到底、解脱・涅槃の境地に達することは、不可能になることも十分に注意しなければならないのであります。
 
 さて、ここまで少し難しい話が続いてきました。もしかすると既に途中でチンプンカンプンになられたかもしれません。または、それは間違っているのではないかと思われることもあったかもしれません。そうであれば、私の解説・解釈・内容に誤りがある、語彙・表現の仕方に問題がある、配慮が足りない、勉強が及んでいない、仏教の真なる教えが一部抜けているなどのことも考えられます。誠に未熟者がゆえに申し訳ないと存じます。 

 仏教の実践は、必ず迷い・苦しみが無くなり、涅槃寂静へと至るためのものであります。読者の皆様方の迷い・苦しみが少しも無くならないとなれば、それは単に私に責任があることであり、深く反省して真なる理解へ向けて一層精進努力していかなければならないと考えております。

 ここからは、章ごとにおいて理解を進めていくために、できる限り具体例を挙げて、これまでの内容を補完していきたいと考えています。どうかまだしばらくお付き合いくださいますれば幸いでございます。




   一、はじめに
  二、諸行無常
  三、諸法無我
  四、一切皆苦
  五、涅槃寂静
  六、四聖諦
  七、八正道・中道
  八、因縁生起
 
  十、無執着
 十一、無所有
 十二、無価値
 十三、空
 十四、慈・悲・喜・捨
 十五、少欲知足
 十六、現実の瞬間瞬間を生きる
 十七、煩悩への対処
 十八、無記 
 十九、四弘誓願
 二十、最後に

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