施本 「佛の道」 発行日 平成19年12月28日 執筆完了日 平成19年11月25日 | ||
第十四章 慈・悲・喜・捨 | ||
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第十四章 慈・悲・喜・捨 慈《じ》・悲《ひ》・喜《き》・捨《しゃ》は、四無量心《しむりょうしん》とも言われるものであり、悪い感情を静めて心を清らかにし、また煩悩を無くしていくためにも、仏教においては大切な実践になります。 慈は、慈しむ心のこと、または友情心のこと、悲は、憐(哀)れむ心のこと、喜は、一緒に喜ぶ心のこと、捨は、偏見や差別を捨てる心、または平等で落ち着いた平穏な心のことであります。 慈悲と二語で表されることもあり、この場合、慈は、慈しむ心で楽を与えること、悲は、憐(哀)れむ心をもって苦を抜くことで、抜苦与楽《ばっくよらく》とも言われます。喜捨も二語で表されることがあり、我執、偏見、差別を捨てて、一切のものに対して平等の心を持ち、共に喜びを分かち合うことであります。 四無量心は、あらゆる全てのものに対して変わらない平等の慈しみ、優しさを持つこと、一切皆苦の中で、あらゆるものが苦しんでいることを憐(哀)れみ、「我」を捨てて「無我」を自覚し、「我執」・「妄執」・「愛執」などの執着も捨てて、煩悩を滅し、苦しみから解脱した喜びを共に分かち合うために必要な心のあり方を示す重要なものであり、涅槃へと向かうために、このことを常に念じ、実践することが大切となります。 慈・悲・喜・捨の実践でよく混同されがちであるのが、世間一般で行なわれている「慈善活動」・「ボランティア」・「社会奉仕」・「社会貢献」・「国際貢献」・「寄附行為」などがあります。 これらは、大部分、当たり前のように善行為として考えてしまうところがありますが、実は結果として悪行為となってしまうこともありますので、非常に注意が必要であります。 世間一般で行われるそれらの活動・行為は、やはり人間社会の中で、自分たち人間のためだけの仲間内のことに留まってしまっていることが多くあります。それでは、あらゆる全てのものに対しての平等性からは離れてしまい、では他の生命たちに対してはどうなのか、他の生命たちの苦しみは無くせたのか、他の生命たちと共に苦しみの無くなった涅槃の喜びを味わえたのか、ということについても考えなければいけません。 そこでもやはり、中道が担保されて自分・家族・仲間・会社・社会・国・人間の主観・偏見・独り善がり・自己都合・自己満足などの恣意的要素は排除されていなければならないのであります。 ですから、いくら自分は「慈善活動」・「ボランティア」・「社会奉仕」・「社会貢献」・「国際貢献」・「寄附行為」をやっているのだと言っても、何らかの見返りを求めて欲を出してしまっていたり、中道から外れてしまっていれば、結局は、善行為どころか、色々と逆に迷惑を掛けていたり、悪行為をしていることとなり、結果的にも苦しんでしまうこともあります。 中道から外れたまま、それらの活動・行為をし、我に執着したままで続ければ、「自分は自分の色々なものを犠牲にして、善行為をしているのに、なぜ苦しいことばかりが結果として生じるのか」と更に苦しむことになってしまうこともあります。世間でよく見受けられることですので気をつけなければなりません。 それらの活動・行為では、あまねく全てにとってのために役立っているのか、あまねく全てのものにとっての喜びになっているのかということも考えなければならないわけであります。 もちろん、あえてそれらの活動・行為をしている、しようと思うのではなくて、所詮は「無我」なのですから、それらの活動・行為をしている「我」をしっかりと捨てれば、欲も生じませんし、活動・行為の内容や結果に執着して、「あれほどに私が活動・行為をしたのになぜなのだ」と苦しむこともないですし、それよりもそれらの活動をする、しないに拘わらず、しっかりと四無量心を常に念じて、その心で生きていくこと自体が実は大切なことであります。 ことさらに世間で善行為だとして奨励されている「慈善活動」・「ボランティア」・「社会奉仕」・「社会貢献」・「国際貢献」・「寄附行為」にこだわることもないのであります。 また、無常・無我・苦・中道をしっかりと理解できていれば、自然に四無量心で生きていけるということでもあります。四無量心を持てなければ、養えなければ、やはりまだまだ修行不足であるということの検証もできるわけであります。 四無量心を持てれば、不満、貪り、怒り、高慢、怠惰、嫉妬、怨み、蔑み、恐怖、不安、心配、憂い、後悔、昏沈、掉挙などの悪感情は全て除かれていきます。苦しみの劫火に焼かれずに済むようになります。 ここで、私が学びを進めさせて頂いております、日本テーラワーダ仏教協会さんの慈悲の瞑想の言葉を記しておきたいと思います。皆さんも是非、この言葉を毎日継続して、少しでも時間のある時に念じてみて下さい。そして少しずつでも慈悲を実践していきましょう。 慈悲の冥想 私は幸せでありますように 私の悩み苦しみがなくなりますように 私の願い事が叶えられますように 私に悟りの光が現れますように 私の親しい人々が幸せでありますように 私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように 私の親しい人々の願い事が叶えられますように 私の親しい人々に悟りの光が現れますように 生きとし生けるものが幸せでありますように 生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように 生きとし生けるものの願い事が叶えられますように 生きとし生けるものに悟りの光が現れますように 私の嫌いな人々も幸せでありますように 私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように 私の嫌いな人々の願い事が叶えられますように 私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように 私を嫌っている人々も幸せでありますように 私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように 私を嫌っている人々の願い事が叶えられますように 私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように 生きとし生けるものが幸せでありますように 慈悲の冥想ここまで | ||
一、はじめに 二、諸行無常 三、諸法無我 四、一切皆苦 五、涅槃寂静 六、四聖諦 七、八正道・中道 八、因縁生起 九、智慧 十、無執着 十一、無所有 十二、無価値 十三、空 十五、少欲知足 十六、現実の瞬間瞬間を生きる 十七、煩悩への対処 十八、無記 十九、四弘誓願 二十、最後に |
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