施本 「佛の道」 発行日 平成19年12月28日   執筆完了日 平成19年11月25日

第二章 諸行無常


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施本「佛の道」


岩瀧山 往生院六萬寺

著者 川口 英俊

第二章 諸行無常

 仏教を学ぶ者も、そうでない者も一度ならずこの「諸行無常《しょぎょうむじょう》」という言葉は聞かれたことがあるのではないかと思います。

 有名な中世日本の歴史物語・平家物語の冒頭にも、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす・・」とこの言葉が出てきます。

 また、一般的にも舞い散る桜の花びらや、紅葉した落ち葉を見ては、「無常だなー」と感傷的に使うこともしばしばあるのではないでしょうか。この感傷的な場合の無常は、仏教の無常観とは少し違うものでありますので、やや注意が必要となります。

 諸行無常とは、「この世のあらゆる全ての現象・存在は移ろい変わりゆくもので、生滅変化を繰り返す常ならずにある」ということであり、この世における現象・存在には、永遠不変なるもの、永遠不滅なるものは一切何もないということでもあります。

 仏教の教えの真髄はまさに「無常」の理解にあり、無常の理解を完全完璧に行うことができれば、それで悟りに至ることができると言っても全く過言ではないものであると考えます。

 もちろん、その真なる理解は、かなり険しく難しいため、私たちはなかなか悩み煩う苦しみから逃れることができないのであり、それは、無常という理解について、やはりそれぞれ自身における主観・偏見・独り善がり・自己都合・自己満足など恣意的要素がどうしても入ってしまうためで、真なる理解を邪魔するそれらの要素を完全に排除していかなければならないのであります。

 例えば、自分にとって都合の良い、嬉しい、有難い「無常」は受け入れても、自分や自分の愛する人、親しい人の老・病・死や心変わり、自分の好きなもの、大切なもの、失いたくないものの「無常」の変化は受け入れたくない、認めたくないということはないでしょうか。 

 また、受け入れるもの、認めたものは永遠不変、永遠不滅なるものとして、何とかそう思いたい、そうあってほしいとして、様々な想像、妄想《もうぞう》を働かせて、無理矢理に色々とこじつけを行い、結局は、なお一層に「無常」の真理から遠ざかってしまうことによって、更に迷い苦しみの中に陥ってしまうことにもなってしまうのであります。

 もちろん、勝手に無常の理解を自分の都合で変えてしまっては、真に「無常」を理解したとは到底言えません。全ての無常なる変化のありのままを差別《しゃべつ》無く受け入れて、認めていくための心の修行が必要になってくるわけであり、仏教を学ぶ僧侶たちは、そのために瞑想や坐禅を通じて、その心境をしっかりと調えていくのであります。

 また、刻々と全てが移ろう中における無常のこの世においては、同じ瞬間というものはもはやありません。それがゆえに過ぎ去った瞬間を振り返る暇も当然になく、いかに今の瞬間瞬間のありのままを受け入れて、過ごしていけるのかどうかが大切となります。

 ですから、過去におけることで、今の瞬間に活かすための反省ということはあっても、後悔というものは成り立たないわけで、過去に束縛されて今の瞬間の心が暗く苦しい状態にあるのであれば、それは無常の変化に全く自分の心・身体が追いついていないということでもあります。

 更にもう少し本質的な話をするとすれば、この世は無常でなければ私たちは存在することは当然にできません。無常という中におけるあらゆるものの因縁正起《いんねんしょうき》(縁起)の営みがあってこそ、宇宙、銀河系、恒星、惑星なども存在し、この地球においても、生命が生存できるような稀有なる状況への変化の過程の中で、私たちの存在自体も奇跡的にあるわけであります。 

 ありえないことながら、何も変化しない宇宙があるとすれば、当然に何も変わっていかないため、銀河系も恒星も惑星もブラックホールも、地球における生命の営みも、何の生滅変化もないのであります。もちろん、美味しい果物も、可愛い虫や動物たちも、心地よい音楽も、楽しいお芝居も何も存在しないのであります。

 つまり、無常を否定することは、私たちの存在のみならず、この世の現象・存在そのものをも否定することになるのであります。ですから、因縁の中で今現在、存在している以上は、結局当然に無常をしっかりと受け入れて、認めていかなければどうにもならないわけであり、そうでなければ、あなたも、あなたがあまり変わってほしくないと願っているあなたの愛する人たち、親しい人たちも当然に始めからその存在を否定することになってしまうのであります。しかし、現に確実に存在している以上、それはもうできないことであります。ですから、現象・存在の無常を当たり前のように認めることが、まず仏教の教えにおいては大切となります。

 さて、諸行無常につきましては、これから本論を進めていく中で、随時、その理解について補完していくこととします。




   一、はじめに

  三、諸法無我
  四、一切皆苦
  五、涅槃寂静
  六、四聖諦
  七、八正道・中道
  八、因縁生起
  九、智慧
  十、無執着
 十一、無所有
 十二、無価値
 十三、空
 十四、慈・悲・喜・捨
 十五、少欲知足
 十六、現実の瞬間瞬間を生きる
 十七、煩悩への対処
 十八、無記 
 十九、四弘誓願
 二十、最後に

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