施本 「佛の道」 発行日 平成19年12月28日   執筆完了日 平成19年11月25日

第十七章 煩悩への対処


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岩瀧山 往生院六萬寺



著者 川口 英俊

第十七章 煩悩への対処

 煩悩、悩み煩う原因は、無明の闇において、無常・無我・苦・中道が理解できずに様々に妄想することによって主に生じてしまっています。その中でも、特に我執、妄執、愛執などの執着を離すことが、煩悩を無くす上でも重要なことであります。

 しかし、現実に煩悩を無くすということは、非常に難しいことでもあります。そこで、少し煩悩への対処について、アプローチを変えてみてもと思います。

 なかなかに煩悩は無くならず次から次に生じてくる、でもその煩悩を相手にせずに、その煩悩から出てくる「我」・「渇愛」・「妄想」などに執着をせずに、ほったらかしにしておくことで「煩悩」を離しておけば、生じてくる煩悩について、ついつい無理に「無くさなければ」、「無くさないと」と考えなくても済むようになります。

 煩悩が出てくれば、「ああ、また出てきたのか、こんにちは、でも、さようなら」としておくのであります。そうすれば、様々な煩悩もすぐに生じては滅する無常なる中、あっという間に過ぎ去っていきます。囚われてしまうと苦しみになりますので、それだけは気をつけておかなければいけません。

 また煩悩と同様に、あらゆる執着物・所有物・束縛物についても、例えば、恋人・伴侶・子供・孫、家族、友人、財産・モノなども瞬間瞬間に「こんにちは、でも、さようなら」として、さらっと過ぎ去らしておけば、余計な苦しみを抱えることはないのであります。そしてすぐに次の瞬間には、私もそしてそれらのものも、既に全く新しく変わっているのであり、「また、こんにちは、でも、さようなら」、「あら、また、こんにちは、でも、さようなら」として、瞬間瞬間、新鮮な無常、執着が無いことを楽しんでいければ良いのではないかと思います。

 少し先にも触れましたが、涅槃における楽とは、あくまでも苦しみが減っていくこと、無くなっていくことの意味であります。苦しみが完全に無くなって、そこで完全な楽となり、涅槃に至ったと言えるわけであります。

 煩悩・執着物・所有物・束縛物が生じるのはやむを得ないとして、すぐにさようならをしておくことで、苦しみを無くすようにしてみましょう。多少はまだまだそれらに囚われるのは仕方のないことですが、さようならをするために掛かる時間を徐々に短くしていき、やがては生じたその瞬間にしっかりとさようならをしていけるようになれば、それで苦しみの無い、涅槃になると言えるのではないかと思います。

 ですから、我執に取りつかれたまま、「自分は煩悩が次から次に湧いてきてもうだめだ」とすぐに挫折するのではなくて、「まあ、煩悩が湧いてくるのは仕方ないけど、すぐにさよならさせていくぞ」と努力していくことにすれば、時間は掛かっても少しずつ涅槃へと近づけるのではないだろうかと思います。
 


   一、はじめに
  二、諸行無常
  三、諸法無我
  四、一切皆苦
  五、涅槃寂静
  六、四聖諦
  七、八正道・中道
  八、因縁生起
  九、智慧
  十、無執着
 十一、無所有
 十二、無価値
 十三、空
 十四、慈・悲・喜・捨
 十五、少欲知足
 十六、現実の瞬間瞬間を生きる

 十八、無記 
 十九、四弘誓願
 二十、最後に


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